初めてのパパによる寝かしつけ

うちでは娘の寝かしつけは夫婦2人体制。

どうしてこんな手厚い処遇になったかといえば、私が娘といっしょにいたかったから。

パパ、ここにごろん

妻だけで成立する寝かしつけに勝手に参加していたところ、いまでは私が家にいることがわかると、「パパ、ここにごろん」と言って、隣に寝ることを要求してきます。

それでも、私が飲み会などで夜不在にしているときなどは妻だけで寝てくれますが、家にいることがわかっていると決まって要求してきます。

一方、妻抜きで娘が寝たことがあるか、と言えば一度だけあります。

ばぁばの寝かしつけは経験済み

今年の5月、娘が1歳半のときに夫婦で安室奈美恵のコンサートに行った際に、義母に預けており、このときが唯一の親以外の寝かしつけで寝た実績です。

このときもかなり難儀したようで、マンションのエントランスに連れ出すなどして寝かしつけたと聞きました。

その後、もう一度、義母でチャレンジしましたが、そのときは失敗。

どうしても寝ないので、帰ってきてCallがありました。

どちらのときも、娘の生活リズムが乱れて、翌日以降の妻の負担が増したということで、妻から夜に外出したい旨のリクエストがなくなっていました。

どうして2歳になるまでパパは寝かしつけてこなかったのか

では通常の日に、パパの寝かしつけはないのか、ということですが、これはありません。

どうしてかと言いますと、パパが寝かしつけようとしても、妻がいることがわかっていると、ママを呼んでしまうから。

中には、ママを呼んでいても心を鬼にして、無視して泣き疲れて寝るのを待つ、という方法を取るパパママがいることは知っています。

「子どもと生きる・あまえ子育てのすすめ」という本を読んだ私たち夫婦にはそれが無理になってしまっています。

妻も「こんな風に、ママ、ママと言って寝てくれるのもきっと短い期間だから、付き合おうと思う」と言ってくれているので、娘を甘えさせています。

さて本題

長い前置きになりましたが、昨日久しぶりに妻が夜に友人と食事に出るというので、夕飯を食べる、お風呂に入る、歯みがきをする、寝かしつけをする、とやってみました。

寝かしつけまでには妻の食事も終わるというので、娘に姿を見せない形で帰宅してもらい、もし泣き出したらいっしょに寝かしつけをしてもらう、という作戦でした。

妻が不在だと思い込ませ、パパだけで寝なきゃいけない環境を作ったのです。

寝かしつけまではとてもスムーズ

娘もママがいないことを理解して、パパと一緒にほとんどのことを無難にこなしました。

ですが、寝かしつけだけは別物。

ママと同じ位置に寝て、同じように絵本を読み聞かせて、途中までいい感じに眠そうにしていました。

しかし、本格的に眠くなったとたん、急に「パパ、こっちごろん。ママここ」と言ってママの場所からどけというのです。

その後も何とか絵本で寝かしつけを試みたのですが、とうとう「ママあいたいよぅ」としくしく泣き始めてしまったのです。

寂しさの限界が訪れた

普段妻の寝かしつけでも、眠りに落ちそうになると、寝ないようにギャーギャー泣くことはあります。

しかし、この日はいままでに見せたことのない寂しい表情と声で涙を流し始めたのです。

ギャーギャー泣きだったら頑張ってひとりで寝かしつけてみようと思ったのですが、寂しさをこらえきれなくなった様子を見せられて、たまらず妻を呼びました。

妻が隣に寝ると、泣くのをやめて、私といっしょにしたこと(実は昼間も用事があって私とふたりで過ごす時間が長かったので)を妻に報告しはじめたのです。

なんかねぇ、とてもかわいかったんですよ。

ちょっとずつ思い出すようにひとことひとこと「ベビーカーのったよ。すなばしたよ。ボールしたよ」って。

ずっといっしょだったママが長いこといなくて、その寂しかった時間をどう過ごしたのか、大好きなママと共有したかったんだなって、しみじみ思いました。

やはり母は強し、というか子育てでママに敵う部分なんてないんだな、なんて再認識までさせられちゃいました。

なんてったって、ママが隣にきて5分でスヤスヤ寝息立ててましたからね。

この母子の愛らしい姿を見ていられるなら、自分の時間が減ってもいいのかななんて(スムーズに寝てほしいのは変わりませんが(笑))。

納得解は“愛情をたっぷり注いだ子育て”

こういう思いに至っているのも「あまえ子育て」という本のおかげなのかな、と思います。

どんな子育てが正解なんてきっとないと思います。

それこそ藤原和博さんの言葉を借りれば、そこには納得解があるだけなんだと思います。

いま私のなかでの納得解は「愛情をたっぷり注いであげられれば問題ない」ということなのかな、なんて思った日曜の夜でした。