「とりあえず英語。」という考え方の弊害。うちでは英語は本人が望むまで学ばせません!

「〇〇ちゃん、英語始めたらしいよ」「英語やらせたいよね」「英語くらいしゃべれないとね」。

ママ友との会話を妻から聞きました。

とりあえず英語

この話を聞いたときに私の中で、こう置き換わってました。

「〇〇ちゃん、とりあえず英語始めたらしいよ」

「とりあえず英語やらせたいよね」

「とりあえず英語くらいしゃべれないとね」

深く考えて英語をこどもに取り入れるべき、とまでは言っていないように聞こえたのです。

ホントのところはよくわかりませんけど。

この「とりあえず英語!」という感じが、私にはよくわからないのです。

英語必要じゃないの?

英語しゃべれないと、海外のひととコミュニケーション取れないじゃん。

海外旅行が楽しいじゃない。

英語できなくて損することあっても、英語できなくて損することはあるでしょ?

早期教育でやったほうが苦労しないじゃん。

帰国子女の同級生うらやましかったんだよね。

英語に対して否定的なことを言うと、こんな反論が聞こえてくるのが目に見えてきます。

何のためにが欠如

私も英語が喋れるわけではないですし、受験などで英語では苦労させられたタイプです。

ですが、うちの娘に早期教育という形で英語をやらせようと思ったことはありません。

それはなぜか。

英語をマスターした先にある“目的”が見えないからです。

やっておいて損はないよね、といった感覚だけで、やらせるようなものではないと思っています。

いずれ本当に娘の中で、海外のひとと話したいとか、海外に出てみたいとか、英語の本を読んでみたいとかそういった希望が出てくるかもしれません。

そのときには、「おお、やったらいいじゃない。応援するよ!」といって喜んでやらせると思います。

そういった目的がこども側にない中でやってもあまり意味がないように思うんです。

たとえば親の中にこどもに英語をやらせる明確な目的があるなら別です。

〇年後に海外に移住するからとか、小学校のうちから留学させるとか、ね。

「とりあえず英語」で思考停止してるんじゃない?

英語、英語言っているひとほど、しっかり考えてないんじゃないかな、って。

とりあえず英語やっときゃなんとかなるっしょ、って思考停止におちいっているんじゃないかな、なんて思うんです。

英語が目的化しちゃうと意味がないと思います。

英語はあくまで目的を達成する“手段”でしかないはずなんです。

コミュニケーションツールでしかないんだから。

むしろ日本語のほうが大事じゃないか

こどもの将来のことを考えて、という反論も聞こえてきそうですね。

でも、ほんとにこどもの将来のことを思うなら日本語のほうを大切にしたほうがいいと思いませんか。

日本語を使う時間と英語を使う時間、単純に考えてどちらが長いと思いますか?

私は日本語だと思っています。

成毛眞氏も著書のタイトルで「日本人の9割に英語は必要ない」と言い切っています。

心理学者の植木理恵先生も弊害を指摘しています。

AIなどの情報テクノロジーの発達で必要になるのは国語力

文章に関していうと、Google翻訳などの翻訳サイトで英文を和文に直したり、和文を英文にしたりすることが可能になっています。

ひと昔前はひどい翻訳で使えるレベルではなかったものが、かなりディープラーニングやAIやそういった情報テクノロジーの発達で、かなりの精度で訳せるようになっています。

そういった中で必要になってくる能力は国語力、日本語力だと落合陽一さんも言っています。

糸川英夫先生も日本人がノーベル賞を取れいている理由を母国語である日本語で研究ができているからではないかという自論をお持ちです。

英語なんて後からでもいくらでもなんとかなる

いま日本人で英語を駆使しているひとのうちどれくらいが小さいころから英語をやっていたでしょうか。

きっと自分で英語を武器にして活躍してやろうと思って、一生懸命勉強したひとが多いんじゃないかな、と思います。

私の先輩でNHKのラジオ英会話だけでANAのCAに合格し、国際線のCAになったひともいます。

語学ってものは自分で思い立ってからの努力でいくらでも何とでもなるんだと思います。

妻からのまた聞きですが、通訳・翻訳家の長井鞠子さんも自分の仕事をしていくうえで、日本語力を高めることに余念がないそうです。

2014年のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」では、毎月京都・銀閣寺まで通って和歌の勉強をしていることが紹介されていました。

英語を駆使して仕事をするひとでも、日本語力を磨くことに力を割いているんです。

ネイティブのような耳に育てるには3歳までに、という話もありますので、早くやることに効果があることに異論はありません。

一定の意味があることも理解しています。

ただしそれが早期教育として取り入れるべきほど大事なのか、日本語の習得をおろそかにしてまでやるべきことなのか。

いま一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。

それでもいいからやらせるのだ!という強い思い、考えがあるのならば、否定はしません。

日本人に生まれ、日本で生活していくことになっているのだから、娘には日本語の能力を高めてほしいと私は思っています。

なので、私はちいさいころから英語をやらせるようにはしていません。

英語の力なんてものは、成長してからでも取返しがつかなくなるようなものではないと思っています。

こどもの未来をしっかりと考えたうえで、選択していきたいものですね!

投稿者プロフィール

皐月 悠詩
皐月 悠詩
1983年5月生まれ。群馬県出身。
新聞記者のブラックな生活に疲れ、一念発起で国家資格を取得。
2016年11月からめろめろパパに。
世のパパたちよりも家事育児の割合の高い日々を過ごしています。

詳しいプロフィールはこちら